大雷神社


東松山市大谷地区・大雷神社(別名:水分神社)の創建は、清和天皇の御代貞観元年(859)と伝えられています(御祭神 大雷命)
御社殿は、雷電山古墳の墳頂部に建造されています。この地は旱魃が多く、村中を挙げて大雨乞祈願が執り行われました。寛政年間(1789年〜1801年)には、関東取締役の御沙汰による奉納相撲が開催され、江戸の両大関(当時の谷風/小野川か?)も顔を揃え、関東三大相撲と言われました。両大関(?)の取組絵馬も奉納されています。土俵は一の辻と二の辻と2ヶ所あり、一の辻では大相撲、二の辻では草相撲行われました。観覧席は古墳の傾斜を利用して、観客には、"ぼた餅"が振舞われたことから、"大谷のぼた餅相撲"と呼ばれるようになったとのことです。

現在の社殿は慶応元年(1866年)に再建(本殿覆殿は平成19年に再建)されております。 明治に入り神仏分離令が施行される前は"雷電大権現"と称されておりました。社殿彫刻は、徳川幕府公儀彫刻師・飯田岩次郎の"黄石公と張良"をはじめとする素木彫刻が圧巻です。