巌殿観音(巌殿山正法寺) :坂東十番札所


坂東三十三観音の第十番札所・巌殿観音(巌殿山正法寺)は、養老2年(718年)に沙門逸海が千手観音像を巌殿山に納め開山しました。鎌倉時代に、源頼朝の命により比企能員が復興しました。千手観音像は、頼朝の妻・北条政子の護り仏といわれています。

境内には樹齢700年の大銀杏が、初冬の境内を黄色の絨毯となります。

当初の金剛力士像(仁王様)は、平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した仏師・運慶の作といわれています。

昔、坂上田村麻呂が岩殿山に住む悪竜を退治し、首を埋めたところにこの弁天沼ができたといわれ、カエルがすみつかないところから「鳴かずの池」と呼ばれたと言い伝えられています。


新編武蔵風土記 (現代語訳)

岩殿山観音堂:

石段を数十段経て山上にあって坂東三十三札所の第十番で世間では岩殿観音といっています。

千手観音坐像(一尺五寸)をお祀りし、左右には不動毘沙門が配置されており、毘首羯磨(びしゅかつま:帝釈天の侍臣で細工や建築を司る神転じて美術工芸に巧な工匠)

の作。逸海が感得した像です。

不動毘沙門は元護摩堂の本尊でしたが、いつの頃からかこの場に並び安置されました。

寺伝には養老年中(養老二年=718)に僧逸海が草創し、始めは正法庵と号して仮の草庵でしたが、大同元年(806) 田村麻呂利仁将軍が再興し利仁山といわれたとのことです。後に比企判官能員が再興。また天正二年(1574)僧榮俊が中興開基しました。調べてみると、田村麻呂利仁将軍は別人(二人)であるのに一人であるが如くのようにいうことは訛った(いつのまにか変化)ようです。坂東霊場記などによると、養老年中に僧逸海が草創し後に田村麻呂および利仁将軍などが再興したと言うことに起因しているのでしょう。


また、坂上将軍が東征の折この観音堂前に夜を徹して悪竜を射止めたことがあります折しも六月の始め、金属をも蕩(よろ)かす炎暑にもかかわらず、指をも落とすような寒気が起こり積雪が一尺余りに達し、篝火を焚いて雪中の寒気を凌いたといわれています。今でも近郷では六月朔日には家ごとに篝火を焚くのはその時の名残りといわれています。

かの悪竜退治の事績は信じ難いものの、伝承のままに記載します。

田村麻呂将軍の功績は、本観音の利生(仏の恵み)なればとのことで伽藍建立の宣旨を賜わり、凡そ六十余の堂宇を造営。その後三百有余年を経て、堂舎は零落(落ちぶれ)しましたが、将軍頼朝は信仰厚く、二位禅尼(政子)も帰依浅からず正治二年(1200)に殿堂の再造に至り、一山が舊観(きゅうかん:元の姿)に復興します。左衛門督入道 覚西にこの堂の別当を兼務させ、覚西入滅後に衆徒などの追福のために建てた石碑、昔はu別当正法寺の側にありましたが、今は断碑となってしまいました。が、ようやく年号などの数字が見え、全体であった時の写しが別当寺に蔵しています。


按に(調べると)岩殿観音は相模国にもあり、養老四年 行基菩薩の開基であるといわれています。東鑑(吾妻鑑)にも岩殿観音については所々に出ており将軍家信仰が深いように思えます。しかし比企の岩殿観音については正治二年(1200)の事については特筆されておらず、後年の永禄十年(1567)九月 上田能登守が立て篭もった当郡松山城攻めの折、兵火のため本堂以下坊舎に至るまで悉く灰燼に帰し、縁起や古文書をも損失しましたが、天正二年(1574)に別当榮俊が檀越(布施)を募り舊観(元の姿)に復元して、天正十九年に二十五石の御朱印を賜わったとのことです。


仁王門蹟(跡):

石段の中腹にあり、天明年中(1781-1789)に焼失しましたが、未だ再建に及びません。仁王は運慶の作といわれ、今仮に安置されています。


鐘楼:

元亨二年(1322)に鋳造された鐘ですが、たびたび軍器用に持ち出されたため銘字も自然と消え失せてしまいました。事実、縦横に多数の瑕(きず)があることからいかにも兵用に用いられたかが推察できます。銘文は以下の通り:

(訳文略)

武州比企郡 岩殿寺三尺五寸鐘一口

貫主覺阿

右願主 沙彌道阿 藤原氏女

旦那 沙彌道阿 布敷氏女

旦那 沙彌道善 山口氏女

尼法阿

(此所虫喰)

大工 元享二年卯月九日

助成 沙彌道阿 藤原氏女

紀重

(此所虫喰)

紀弘吉

經蔵。明板の一切經を蔵す、萬治三年(1660)九月水野石見守忠貞が寄納する處なり、徑文目録の末に、奉納したる顛末を略記す、其文に、

右總目所載明本大蔵經壹部爲帙二百一十三爲冊一千五百五十五奉納武州比企郡岩殿山千手觀音菩薩之寶前余生長此郡自幼齢常拝諸藍精藍敬信靈威今守職十有餘齢故求全經於中華奉納之云

萬治庚子九月 從五位下水野石見守源忠貞

八王子権現社。此社は古き鎮座なるにや、下に載たる天正三年(1575)上田案獨斎が出せし制札に、岩殿八王子山と見えたり、今も本堂の後を八王子野とも呼べり。

薬師堂

阿彌陀堂

注) 違訳があればご指摘ください。



東上線"高坂駅"から:
・徒歩で3.7km (約50分)
・車/バスで約10分